人生の交差点 コの字の誘惑|共感の安らぎと暖簾のはためき

本日も胡桃丸のお部屋へようこそ!

あなたはコの字と聞いてなにを連想しますか?

コの字・・・。

わたしが思い浮かべるのは居酒屋のカウンター。大きな居酒屋ではなく、できれば小さなお店がいい。

気をつけていないと腕が当たってしまうような、場合によっては隣の客のつまみを間違えて食べてしまうような、そんな店のコの字。

本日はそんな居酒屋のお話であリマス。

目次

袖振り合うも多生の縁

袖振り合うも多生の縁とか申しますが、コの字で隣り合わせた人もそんな感じなのかと思います。

隣にいるツレと話しているのに、お隣から「あんた〜それは我慢のしどころだぜ。」と声が飛んできたりする。初めは「は?!」と思ったりするのだけど、お隣の話を聞いているうちに腑に落ちて妙に納得したりしてしまう。

その店のコの字で何度か顔を合わせるうちに、何となく意気投合して昔から知っているような気心知れた感覚を覚えたりします。

いつの間にか、コの字でお互いの存在を認めると、目と目があって、何となく頷くとも言えないような仕草で「おお。」「ああ。」などとあいさつともつかぬ会話が始まる。まさにアイコンタクトなのですね。

店の主人も見てみぬふりだけど、客同士のアイコンタクトには気づいていて同じつまみをサービスしてくれたり、勧めてくれたり。すると先ほど目と目で通じ合った常連と「うまいぞ。」「うん、うまいね。」と目で会話したり。

そんなすばらしきコミュニケーションが夜な夜な古き居酒屋のコの字では交わされておりました。何となく気心知れた者が集まるアットホームな雰囲気の中でサラリーマンの夜が更けていくのであリます。

優しい場所

仕事が上手くいかなかったり、上司や同僚とぶつかったりして、モヤモヤを抱えたまま家に帰りたくないときがあリます。

そんなとき、わたしはモヤーんとしたイヤな雰囲気を全身にまといつつコの字に向かいます。

暖簾をくぐると、そこはいつもの柔らかな世界。

そこにいる人々は、ただ静かに酒を飲み、肴をつまんでいる。アットホームな居心地のよい空間。素性を知らない者ばかりなのに。

何となくの雰囲気で通じ合っている。

そんなとき、そこにいる人々は、ポジティブワードは使わない。

ボジティブへの違和感

ポジティブワードって落ち込んでいる人を励ましたり、慰めたりするようで、その反対のことが多いですね。

落ち込んでいるときに、表面的な励ましや慰めは逆効果で、ポジティブさに嫌悪感を覚えることすらある。傷口に粗塩をぬり込まれるような気持ちになるときもあります。

はっきり言って迷惑この上ない。

ポジティブ全開の人はどこか信用できない。

人間でしょ、そこまでポジティブでい続けられるわけがないのだと思ってしまいます。

自らの境遇でポジティブを信条としている人はいるのだろうとは思いますが。

たとえば大病を克服したとか、人生の大きなピンチを這々の体で切り抜けた経験がある人とか。それはそれで素晴らしいと思いますし、かけがえのない経験だと感じます。

ですが、そのポジティブシンキングが全ての人に当てはまるわけではありません。むしろ暑苦しく鬱陶しく息苦しく感じることがあります。

わたし場合は、そのポジティブさが耐えきれなくてSNSでもスルーしてしまいます。メッセージをいただいてもリプに困ることもありますね。

弱みを見せること、弱音を吐くことがよくないことだと、そんな感覚が何となく皆の心に横たわっているように思えてなりません。ポジティブに毎日生きることが至上命題であるとでも言わんばかりに。

でも、そんな人間に面白味があるのでしょうか。

コの字にいる人たちは面倒なことをいいません。ポジティブさを押し付けない。ただ黙って、静かにそこにいます。

何度も通っているせいで面識があり、ある程度の関係性ができています。そのせいか、上辺だけの言葉や、簡単にわかったようなことを言う人はいません。

なんと表現してよいのかわかりませんが、静かな共感ということになるのでしょうか。

黙って頷きながら話を聞いてくれて、たった一言、ボソッと「わかるよ」なんて言われるから、不意に涙が流れたりします。

いつものやわらかい灯りの空間で、人の優しさを身体で感じながら。

暖簾が風にパタパタとはためいてガラス戸を叩いています。コップに注がれた酒をあおってみても涙は隠せません。肩をそっと叩かれて、余計に泣けてしまうじゃないか・・・。

コの字で会うだけの人々と心が通じる不思議な空間。

言葉はいらない。いつもの人たちがいて、ただ静かに酒を飲み、肴をつまむ。

言葉を交わさなくてもお互いに通じるのです。

言葉は邪魔ですね。たまにひとこと、ふたこと言葉を交わすこともありますが、落ち着きと安らぎの安堵感のような心地よさで満たされています。

しあわせな時間。昼間の鬱屈とした感情もいつの間にか薄く遠くに消え去っていきます。

ゆったりとやわらかな時が流れています。

外では暖簾がパタパタと音を立てています。

つか本

わたしのそんなコの字は、愛知県岡崎市、東岡崎駅そばにある「つか本」です。

いまは離れた土地にいるのでしばらく暖簾をくぐっていません。何年か前に訪れたときは改装中のようでした。

もう主人も代替わりしたのでしょうか。代替わりしたとすれば3代目の主人か。あのときの息子さんになるのかな。

改装で店の雰囲気もカウンターも変わってしまったのかもしれません。

時代は変わります。古いものはすたれ、新しいものが台頭します。

人間も同じですね。最近では人生100年時代といいますがどうでしょうか。

肉体の健康が伸びるだけで、中身が枯れ木の大木と化してはいないでしょうか。老害という言葉が頭をよぎります。

自分は枯れ始めていないだろうか。若くても枯れているひともいるかもしれませんね。人づきあいをしているとなんとなくですが、そう感じます。

どう思うかは個人個人の感覚に委ねますが、わたしはたまにそんなことを思う瞬間があったりします。

つか本はいつまでもわたしの頭の中に、あの当時のまま、ぼんやりとあかりが灯ったままです。

暖簾がパタパタと風にはためき、店の中からあたたかな雰囲気が外まで伝わってきます。

引き戸を開ける瞬間の、ワクワクするような、ドキドキするような感覚。

店の雰囲気が変わり、店主も変わり、客も変わってしまったのかもしれない。そんな店の、思い出の暖簾をくぐって見るのも悪くない気がしている今日この頃です。

あの時の常連さんたちに再会できるでしょうか。

お互いに歳をとってしまったけれど、雰囲気だけでお互いにわかるのでしょうね、きっと。

「おお!」「ああ!」なんて感じでね(笑)

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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