本日も胡桃丸のお部屋へようこそ!
今日のお話は、辺境の地への憧れについて。
最近、10年に一度の最強寒波が襲来!という報道があったが、いつもこの「〇〇年に一度」という言い回しに疑問を感じる。とにかくすごいのだろうな、と思うのだが、何かにつけてこの表現を頻発しすぎではないかと思ったりする。
それにしても寒すぎるのもホントに困りものだ。
日本各地でスリップ事故や車の立ち往生、水道管の破裂や集落の孤立などもあったようだ。
スリップ事故や車の立ち往生などは気を付けさえすれば回避できそうなものだが、運送や外回りの営業をしている人たちは巻き込まれたらたまらないよなぁ。
水道管の破裂や集落が孤立してしまうなど、自分の力ではどうにもできないことは、もはや避けようがないものね。
自分の腑抜けた日常では、まず布団から出られない。着替えたくない。出勤する気にならない。外に出たくない。のないないづくしであるが、こういうことを言うと必ずと言っていいほど反対意見を述べる人がいる。
根性が足りない!とか、気合いだ!とかね。平気な顔して、えぇーこの程度で寒いの?なんて聞かれた日には、あっち行ってくれ!!と露骨に顔に出てしまう。
今度は別の報道。
ロシア連邦サハ共和国の首都ヤクーツクでマイナス62.7度を記録したと報道された。ヤクーツクは冬はかなりの寒さだが夏になると40度近くまで気温が上昇するらしい。
その差は100度以上だ。
わたしも昔リュックを担いで海外をフラフラと歩き、寒い地域、暑い地域に行ったことがあったが、とんでもない気温差の中で人間が生きていることを知り驚いたものだ。
本やネットで得た知識と現地でリアルに感じるものは違う。どれだけネット環境が発達してもリアルを感じることを忘れてはいけない。流れる時間、風、匂い、空気感、全てを実体験すべきとわたしは思う。
今日はわたしが過去に訪れたさむ〜いところのおはなし。
旅の始まりはアイキャッチ画像に写っているバンクーバーである。
バナナで釘が打てますか? チャーチル マニトバ州 カナダ
大寒波の襲来
むかしバンクーバーで暮らしていたときVIA鉄道(カナダ大陸横断鉄道)に乗って旅をした。
寒かった街の一つとしてチャーチルが印象に残っている。季節は冬。
冬のカナダはどこに行っても寒く美しい。凍った河でスケートを楽しむ市民や湖に穴を開けて釣りをする人、線路に落ちた穀物を喰む大きな角をもつヘラ鹿も、白銀の世界と青空のコントラストの中で輝いている。
わたしがチャーチル滞在中に最も気温が低かった日はマイナス41度ではなかったかと記憶している。地元ケーブルテレビの情報だ。え?と思って表示単位を確認したはずだから摂氏と華氏を間違えていることはないと思うが、間違っていたらすまぬ。
どちらにせよ、とんでもなく寒いことに変わりはない。
その年は北米全体が大寒波に見舞われていて、ニューヨークではホームレスの人々が多数亡くなる惨事となっていた。
ニュースを見ているとニューヨークでは、車がボンネットからタイヤまで、まるで波打つ氷に覆われるかのように凍りついている。どうやったらあんなふうに凍りついてしまうのだろうと不思議で仕方なかった。ほんとのアイスパッケージだ。
もう少し先に行くと北極圏という場所にあるチャーチル。普段はマイナス25度程度と宿のお母さんが言っていたから、そのときの寒波の凄まじさがお分かりいただけると思う。
チャーチルってどこよ?
チャーチルはマニトバ州北部にあって、人口は1,000人に満たない小さな町。
シロクマ(北極グマ)とオーロラ、シロイルカが見られることで知られている観光の町だ。夏はツンドラバギーという大人の背丈ほどもあるタイヤを装着した大型車両に乗って野性のシロクマを見ることができる。
地図はぜひ航空写真に切り替えてご覧ください。周囲の状況がわかりやすいです。
だが、わたしが訪れたのは冬だったので観光客などいなかった(いたのかもしれないけど、観光客らしい人は駅で降りなかったし、その後も見かけなかった。)。
静かな興奮
マニトバ州の州都ウィニペグを発車した列車は、チャーチルに近づくにつれて乗客が少なくなっていった。車窓にはこれがツンドラか?と思える景色が広がっている。北上するにつれて植生が変わっていくのがわかる。
窓外の景色は徐々に色を変えてゆき、やがて日が落ちた。人工の灯りなど何もないはずなのに漆黒の闇ではない。雪のせいだろうか仄かな明るさを感じる。上空一面に星が瞬いている。
一人旅だったので話し相手はいない。やることもない。かといって眠ってしまうのは惜しくて、ボーッと窓外を眺めていた。
何か考えごとをしていたと思うが、何を考えていたのかは思い出せない。
星を眺めていたら、空の一部がなんとなく明るくなってきた気がする。
近くに何かの施設、辺鄙な場所だから例えば軍事施設とか、工場などがあって、その光が空に映ってるのか?と思って「へー・・・こんなとこにも何かあるんだ・・・。」とぼんやり眺めていたが、その光は怪しげな動きをしている。
はじめは微かに白っぽかった光が、だんだんと濃くなってきたように見える。濃くなったかと思えば薄くなり・・・そして時間が経つにつれて徐々に緑色を帯びてきている。なんとなく形が変わってきた・・・。
??????オーロラ!!!!!!!!!!!!!
その光をオーロラと認識できずにぼんやりと眺めていた時間がもったいなく思えて、そして、目の前に現れたオーロラに興奮して、頭の中はてんやわんやだ。こんなに静かに興奮したことがあっただろうか。
直後に口髭の客室乗務員がノーザンライツ!ノーザンライツ!!と言いながら足早にやってきて、にこやかに窓外を指差していった。
オーロラはその後も消えることなく微妙に色彩を変化させ、形を変えながら、そこにあった。
それにしても、オーロラが見られる場所に近づいているにも関わらず、人工物の灯りが空に映っていると思い込むとは。
人間の判断基準は今までの人生の常識に裏打ちされていることを目の当たりにしたようで、いささか参った。
列車の座席で一人、笑ってしまった。
ウィニペグから北上し、ほぼ丸2日間かけて列車はチャーチルに駅に着いた。車窓からオーロラが見れるほどの暗さだったが、わたしの記憶ではまだ夕方と言っていい時間帯だった。
当時わたしはどこに行くにも宿の予約をしないのが常だった。行った先でめぼしい宿を見つけては宿泊の可否を確認するスタイルを貫いていた。
とはいえ、今回は極寒の地を目指すので、ガイドブックで事前に当たりをつけておいた。
宿に行き、空き部屋はあるか尋ねると「ある」と言う。滞在期間を決めていたわけではないので、とりあえず1週間部屋を抑えることにした。
案内された部屋にひとりきりになってようやく身体から力が抜けた。意識していなかったが、やはり緊張の糸が張り詰めていたのだろう。
ベッドに横たわりながら、本当に、凍らせたバナナで釘が打てるのかな?なんてぼんやりと思っていた。
結局、わたしはチャーチルに2週間程度滞在した。特にこれといった目的はなく、できるだけすみっこの方に行ってみたい、はじっこの方に行ってみたいというのが動機だった。わたしはこの町が気に入った。
シロクマの住む町は何もない町
翌日の朝、少し寝坊したわたしはカーテンを開けて窓の外を見た。
窓には霜がびっしりと付いて内側は結露しているため、はっきりと外の様子はうかがえないが、雪が舞っているようだった。
すぐに外に出る気にもなれなかったので、しばらくの間、地球の歩き方、 Lonely Planet をめくってみたり、観光用のフリーペーパーをパラパラやってみたが、程なくして腹が減ってきた。この宿に食事はない。
フロント前にソファとテーブルがあり、そこにクッキーやチョコレートがあって自由に食べて良かった。でも、わたしの口に到底なじまない甘さであることを知っていたし、食料を調達する必要があった。
フロントの奥は引き戸を隔てて(引き戸は珍しいなと思った)、オーナー家族の居間になっており、そこでテレビにかじり付いている時は呼び鈴を押しても反応がない。
仕方なしにノックしつつ、ハローと声をかけながらおそるおそる引き戸を開けると、ソファに寝そべりながらテレビを見るオーナー家族と目があってバツの悪い思いをしたものだった。
オーナー家族は皆かなりの巨体で、いつも何かしらの食べ物を手に持っていた印象がある。テーブルの上には大容量のコーラがあった。
そんなこんなでオーナーからショッピングセンター(小さなスーパーのようなもの)の場所を教えてもらい、バッチリ防寒を整え買い出しに出かけた。
雪は舞っていたが気になるほどではなかったので、とりあえず駅に行ってみた。到着したときは、駅の全体像がわからないほど暗かったのだ。
こじんまりとした駅で、倉庫と言われればそう思ってしまうような雰囲気の建物だった。三角屋根の入り口にChurchillと書かれた看板が掲げられていたと記憶しているが、その看板がなければ見る角度によっては、何の建物かわからないかもしれない。
VIAの列車は日本で走っている電車と比べてかなり大きい。それに反してこのこじんまりとした駅舎はコミカルな感じがして可愛らしくも思えた。
買い出しが目的で地図も持ってこなかったから周囲の様子はわからなかったが、天候がさほど悪くないのをいいことに、少しだけ歩き回った。異文化の知らない街を地図も持たずにひとり歩く。まるでRPGの主人公にでもなった気分だ。
あの角を曲がったらゴミ箱を漁るシロクマがいたりして、なんて思うとスリルがあって楽しかったが、本当に遭遇してしまったらシャレにならない。すぐに追いつかれて一撃でやられてしまう。
シロクマは短距離であれば時速50kmで走るらしい。逃げられるわけがない。しかも路面はどこまでも凍りついてツルツルだ。
そんなことになったら日本にいる家族や友人は、わたしがシロクマに一撃でやられたことをニュースで知ることになるのだろうか、と氷点下のまつ毛も凍る、誰もいない吹きっさらしの道端でぼんやり思ったりした。
幸いシロクマに遭遇することもなく、歩き回ってみたが特に何もない。倉庫のような建物が並んでいる場所や人のいない雪風の舞う道路?そんな雰囲気ばかり。
観光で賑わっている土地を求めていたわけではないので、わたしにとってチャーチルの荒涼とした風景は心地よかった。
きっとシロクマは凍った海の上を歩き回り、ひょっこり顔を出したアザラシを捕まえようとしているのだろう。
辺境の地へのあこがれ
わたしはどうも辺境フェチのようなところがあるのを自覚している。
言葉の意味からすれば、都会から離れた場所、不便なところ、ということになるが、わたしの場合は単なる田舎好きというのとは意味が違う。
わたしにとっての辺境は、日本の原風景のような里山の優しい風景ではなく、厳しい環境。人を寄せ付けないような雄大な自然と人、生き物の調和を感じられる場所。何かしら心を揺さぶられる場所のことを言う。
人が多いより少ない方がいい。仮に人が多くても自然豊かな場所がいい。自分を含め人間が、地球の大きな自然の中のちっぽけな存在であると感じるような場所がいい。昔からの人の営みを感じることができる場所も好む。ざっくり言えばこんな感じだ。
1年後に帰国したわたしは、北アルプスを眺めたくなり安曇野を訪れた。水田の向こうの遠い青空に残雪の北アルプス連邦が伸びている。
わたしが北米大陸で見ていたどの山よりも優しすぎるほどに優しい光景。安曇野は田舎ではあるが辺境ではない。
辺境の地といっても、人によって感じ方は様々だろう。
辺境というからには、すみっこ、はじっこ、というイメージを持つ場合があるだろうし、何もない、とか、田舎、という受け取り方が普通なのかもしれない。
わたしが日本で思う辺境(本来の言葉の意味ではないですよ)は、例えば北海道の知床半島、羅臼のあたりとか、野付半島のトドワラの風景、根室半島付近。青森県の尻屋崎とか、野辺地から恐山にかけてなど。
海外となると辺境がどこかと考えてもわからなくなる。
モンゴルの大草原も、シルクロードの砂漠周辺に点在する村も、杏の花咲くパキスタンのフンザも、荒涼としたチベットも・・・、他にも思いつきそうなところだらけだ。
そう考えてみると、キーワードは異文化なのかもしれないな、とふと思う。
北海道はもともとアイヌの土地であるし、根室に近づくと道路標識がロシア語で併記されている。目の色やどこか雰囲気の違う人に出会うことも珍しくない。
青森県北部、野辺地から恐山にかけては荒涼とした風景が続き、異世界に近づいているような得も言われぬ感覚になる。
欧米の古くからの文化を感じる街並みは好きだが、どうしても日常感覚を拭いきれない自分を感じてしまう。
でも辺境の地は違う。日常感覚を引きずったままでは対応できない。当たり前のことが当たり前ではない。
自分にはどうにもできない大きな時間の流れを感じる。おそらくそれは、その土地に流れている時間、そこに住む人々が共有している時間。
自分の価値観などまったく問題にならない、ただ受け入れる感覚。受け入れるしかない感覚。膨大な時間や人々の大きな流れの中のちっぽけな自分という存在。
そんなものを感じたくて旅を続けていたのかもしれないなぁ。
やはりわたしとっての辺境の地は、日本以外にあるのだな、きっと。
(Stanley Park)
終わりに
旅の話はいくら書いても終わりがない。
その地で過ごした時間の分だけ延々と続いてしまう。もっともそれが面白いかどうかは別ではあるが。
チャーチルにまつわるもっと違う話もあるのだが、今はここでやめておく。また別の機会にチャーチルでの詳細を書いてみようかとも思っている。そしてその先のEskimo Pointについても。
寒い場所の話を書くだけのつもりが、懐かしさに駆られて話が飛んでしまい、本来意図していたこととは違う話になってしまった。
まぁ個人の好き勝手なブログだと思ってお許しいただきたい。
次回は暑い場所のお話になります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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