今日も胡桃丸のお部屋へようこそいらっしゃいました。いつもありがとうございます。
本日はコロナ療養のお話です。
この話題は、時すでに遅しという感じが拭いきれないが、陽性になってしまったのだから仕方ない。
この先の人生で再びかかることがあるやなしやわかりませんが、2度と勘弁してもらいたいというのが、わたしの気持ちです。
これを書いている今は療養期間を終えています。
あと、先に言っておきますが、コロナの話題から民主主義の根幹である地方議会のお話へシフトします。
あらかじめお許しください。
なんか寒気がひどいぞ
わたしの職場では、家族がコロナにかかり濃厚接触者になったという例はあったが、本人がコロナに感染するというケースは稀だった。
ある日、わたしの上司がコロナに感染した。
直属の上司であり、毎日頻繁にやり取りをしているので、自分も感染しているのではないかと心配ではあったが、マスクもしているし、手指の除菌もしているし、その後は何を考えることなく過ごしていた。
翌日の朝、身体に違和感を感じた。なーんとなくノドが痛いかも。
その日の日中、寒気がした。いつもエアコンの効きが悪いので、今日は冷えているのだろうと思い上着を羽織って仕事をしていた。
さらにその翌日。目が覚めるのと同時に身体中の倦怠感。ノドの痛みもある。でもその日は一つ仕事の締め切りがあった。ダルいけど動けないほどではない。
このときわたしは、上司がコロナで休んでいることをすっかり忘れていた。忘れていたというか、わかっちゃいるが、まさかわたしがコロナにかかるとは、これっぽっちも思っていなかったのだ。
わたしは現在田舎暮らしで、車通勤である。コロナ禍となってからは飲み会もなく、家と職場を車で往復する毎日だ。
そんな状況もあり、わたしは自分の体調の変化を最近の寒さや、仕事の疲れが原因であると考えていた。
その時点で職場に休むと連絡しなければいけなかったのに、出勤してしまった。
出勤したはいいが、体調はすこぶるおかしい。全身の倦怠感に加え、悪寒がひどい。上着を着ても、熱めのコーヒーを飲んでも一向に身体が温まることはない。かえって、どんどん、どんどんひどくなる。
キーボードを叩こうとしても、寒さで指が縮こまってしまいタイプミスばかりだ。
結局、午後から休暇を申請した。
病院に行こうか迷ったが、とにかく家に帰って布団に潜り込みたかった。
雪道を何とか家に帰りつき、布団に潜り込みそのまま日付が変わるまで眠ってしまった。
抗原検査の結果は
夜中に目が覚めたが最悪の状態だった。まともに立っていられない。頭痛もひどい。ずきん!ズキン!とするたびに膝が崩れそうになる。頭が割れそうだ。ノドの痛みで顔から首まで腫れているような感覚がある。相変わらずひどい悪寒だ。
最悪である。
朝を迎え、鈍り切った頭でどうしたものかと考えた。
たしか医療用の抗原キットで検査して、陽性だったらどうするんだっけ・・・。まぁいい。検査だ。
自分がコロナにかかるなんてまったく想像もしていなかったくせに、変なところで用意周到なのだ。こんなこともあろうかと医療用の抗原検査キットを買って常備していた。
説明書には約10分と書いてあったが、結果はすぐにわかった。陽性!
ここまでくると、まさかの陽性ではないかと想像はしていた。尋常ではない症状なのだ。こんな身体状態は記憶にない。
う〜ん、どうしたものか。公的機関のガイドラインでは、抗原検査で陽性になっても、重症化リスクがあるか又は症状が重篤でない場合は受診せず自宅療養するように、と書かれている。
わたしは降圧剤を服用している。体型は普通体型のやや筋肉質だと思うが、血圧が若干高く降圧剤を処方されている。
ガイドラインによると、高血圧は重症化リスクに含まれる、とある。
う〜ん。またしてもどうしたものか。重症化リスク云々というより、この症状を改善する薬を処方してもらいたい・・・。
ノドが潰れているため声を出すのも辛かったが、意を決して病院に電話した。
症状を伝えると、受診してもらわなくてもいい、と電話口から声がする。
いや、受診してもらわなくてもいい、ではなくて、薬を処方してほしいのだ。医療機関に負担がかかっており、この電話も迷惑なのかもしれない。それは理解した上で、薬だけでも何とかお願いしたい!
その一心で、ゼーゼーハーハー話をすると、時間指定で救急窓口前に車を横付けしろと言うので、指定された時間に合わせて病院へ向かった。
看護師さんから一通りの説明を受け、薬の処方には時間がかかるので自宅に戻って待機するように言われる。
自宅で待機していると病院から電話がかかってきた。医師であった。
医師は、解熱鎮痛剤とノドの症状を緩和する薬を処方するという。もう一つ、重症化を防ぐ薬を処方することもできるが、これは任意であるというのである。
どういうことか聞いてみると、医師は副作用などの症例は把握していない、というか情報が無いというのである。厚生労働省は副作用について何らかの情報を持っていると思われるが、今のところその情報は届いていないらしい。
どうしますか?と聞かれたが、そんな薬飲みたいわけがない!速攻で却下!
解熱鎮痛剤とノドの症状を緩和する薬の処方だけを依頼し電話を切った。
悶絶!症状の激化!
症状はどんどんひどくなる一方だった。
熱が38度と39度を行ったり来たりしてるので、身体のふしぶしが痛み、筋肉痛のような痛みもある。
ノドが痛い・・・唾液を飲み込むのもつらい・・・。ノドの痛みで1時間と眠っていられない。
ひどい仕打ちだ・・・ひどすぎる。なぜこんな目にあわなければならないのか。
大病を経験せずに50目前である。今まで経験した事のない苦痛が襲ってくる。許してほしい・・・お願いだから、もうゆるして・・・。悶絶!こんな言葉を使うハメになるとは・・・。
大げさに聞こえるかもしれないが、マジである。水すら飲み込むことですらためらってしまう。
と、まぁこんな状態が5日間続いたのである。
ほんとに病院から指示された待機期間で回復するのか信じがたかったが、徐々にその兆しが見え始めた。
それにしても、毎日続けてこんなにプリンを食べたのは初めてであった。つるんとしたものしかノドを通らなかったし、甘いものが欲しかったのだ。
その後もノドの違和感と咳に悩まされ続けている。これを書いている今は、発症から12日目である。
コロナ5類へ?
わたしのような症状が出る人もいれば、無症状の人もいるし、さらに重篤な症状となる方もいる。
わたしはインフルエンザにかかったことがないので、そのつらさがわからない。人の話を聞いたり、タミフルの異常行動などを報道で知っているくらいだ。
インフルエンザになったことがある人の話を聞くと、やはり相当にひどいらしい。高熱にうなされ、下痢や嘔吐など、かなりひどい症状のようだ。幻覚を見たという人も数人ではない。
自分がコロナを体験して、こんなにひどい症状で5類??とぐったりした頭で驚いてみたが、インフルエンザの症状を聞いてみると、まぁそれほど変わらない、というか、似たり寄ったり(同じか!)ではないか。
そう考えるとコロナ5類への移行は当然のことなのだろう。医療の専門家ではないからこんな無責任なことを言えてしまうのだが、仕方ないのかなと思う。
こういうのは専門家会議での結果を政府に提言する、という形で行われるらしいが、これって出来レースではないのかと思えてしまう。
専門家会議で議論された内容を直に政府に提言し、真っ直ぐ国民に発信されているのだろうか?
公表前に事前の擦り合わせがあって、その上で落とし所をはかって公表するというスタイルは、どうしてもリアリティに欠けて納得しがたいところがある。
地方議会の不可思議
突然別の話になってしまうが、わたしは地方議会を傍聴することがある。
議会傍聴していると、議員の質問に対し、担当幹部や首長が当たり前のように答弁を行う。
これは、事前に議員の質問に対する答弁の素案を作成したのちに、必要に応じて議員に接触し、質問内容(答弁内容)の確認を行なっているからできる芸当である。
はっきり言って臨場感に欠けた質疑ほど退屈なものはない。
そこには何のドラマもない。選挙離れが進む一因ではないかと考えている。
首長(知事、市区町村長のことね)は、法に則って議会を招集し、議員の質問に対して用意周到で構え、滞りなく議事が進行することを望んでいる。
その気持ちはわかる。経費的な面を考えても、時間をかけて質疑を行うより、事前調整で事がスムーズにはこぶなら効率的なことは理解できる。
だが、一般市民はそういう型にハマったような質問、答弁を聞いて何か感じるところがあるだろうか。
何のために議会を開会しているのか考えてほしい。
議員に仕事(質問)をしてもらうために開会しているわけではないのである。
公務員と議員が仕事をするために議会を招集しているわけではないのである。
単なる決まりごとに終始するのはやめてもらいたい。
アメリカのように議会で一般市民が質疑できる機会を設けるなどの措置が必要ではないのか。わたしも詳しくはないが、たとえば、愛知県の犬山市議会で市民の質疑を受けているようである。
犬山市議会では、子供から制服のジェンダーレス化についての質問があり、その結果、いわゆる男子、女子お決まりの制服ではなく、選択肢が広がったと聞いている。
議会とは本来ひらかれた場であるべきだが、日本の議会は違う。傍聴という言葉でもおわかりであろう。そばで黙って聞いておれ!ということでありますね。
議事の前段で質疑内容の確認が行われ臨場感に欠けているということは、先に申し上げたとおりである。
議会には議場で行われるもののほかに委員会というものがある。
委員会は原則非公開となっている。なぜなのか?
委員会こそ各議員が部会に分かれて、担当幹部に突っ込んだ質問をする場ではないのか。そんな場だからこそ、議員の問題意識も、担当幹部の考えの深さもよくわかるのではないか。
委員会こそ広く一般市民に解放されるべきである。
そして、議会では一般市民が発言する機会を設けるべきである。
報道機関も議員や首長の発言ばかり取り上げても仕方あるまい。
主権は国民、一般市民にあるが、選挙を通じて選ばれた方々は、本当にその付託に応えていると言えるのだろうか?
旧統一協会との関係性ばかりを調査して、これみよがしに公表していても仕方ない、ほかにもやるべきことがあるのではないか。右にならえも当然だが、本懐を忘れてもらっては困る。
議場で議員の質問を聞いていると、声高らかに一生懸命に読み上げている。
そんな演劇ばりのことは、誰も欲してないのだ。
若者の投票率を上げたければ、若者にわかりやすく真っ直ぐな活動をしてもらいたい。一般の人たちに訴えかける行動を見せてほしい。
いくら声を張ったとしても、いくら聞こえのいいことを声高らかに歌い上げても、下手な演劇のような議会はもういらない。
最後に
いつものことではあるが、今回もコロナの話から議会のことへと話題が転がってしまった。途中で話題が変わるのは毎度のことである。お許しいただきたい。
議員も首長も選挙に出馬しているときは頑張るが、当選した後は誰がやっても変わらないような気がしてならない。
選挙戦での「わたしにやらせてください!お願いします!」という汗を流しながら訴えた言葉はどこに行ってしまうのか?
当選後の涙はウソであったのか?
自分たちで変える意思がない人たち(議員や首長)をみている若者や日々の生活に追われている人々に、投票率云々と言っても何も響かない。
言葉で籠絡することばかり考えないで、背中を見せてほしい。先生、先生、などと言われて奥に引っ込んでないで、必死に頑張ってる姿を、汗を流す姿を率先してわかりやすく見せてほしい。
そのくらいの気概があって立候補したのではないのか。違うのか?
転がる石は苔むさず、日本ではあまりいい印象のない言葉だと思うが、わたしはこの言葉をいい意味にとらえている。
古いものはいい、それは納得する。だが、苔むすほどにじっとしていること、何かに固執することは、わたしの性分には合わない。
どちらがいいとか悪いとかではなくて、どちらもいい面があるのだね。
いいとこ取りして先の幸せにつなげて行くことはできないか。
それは人間の柔軟性にかかっている。
そう思ってしまうのである。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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