いらっしゃいませ!ここが胡桃丸のお部屋だよ!

皆さんはじめまして!胡桃丸(くるみまる)の部屋へようこそ!

わたしは40代の普通のどこにでもいるような男性サラリーマンです。

これはわたしが生まれて初めて書く記事となります。

目次

現在のわたしのこと

わたしは今サラリーマンをしながら何となく日々思ったこと、感じたことをこうして書き綴っています。

大学を卒業してから今まで、ズーーーっと会社勤めをしてきました。

やりたいことが見つからない

大学在学中から、

自分がやりたいことって何なのか?わからなくてだいぶ悩みました。

あれこれ悩みましたが、悩んだり考えたりしたところで何かが見つかるわけでもありません。

何をしたらよいのかわからないまま卒業するのがイヤで、勉強したいという理由で海外に逃げましたが目的は別にありました。いわゆる自分探しの旅ってやつです。

現状から離れれば、もしかしたら何か見つかるかもしれない、何かやりたいことに出会えるかもしれない、何かが変わるかも、と甘い考えを抱き大学の教官にウソをついて1年間休学しました。

いま思えば、ウソをつく必要など無かったと思うのですが、教官に自分の気持ちを正直に話すこともできず、かといって理由なく休学を認めてもらえなかったので仕方なくウソをつきました。

考えることを封印し、会社員生活を送る

大学を卒業し外食産業業界に就職、食材輸入・加工を行う部署に配属されました。自分が何をしたいのかわからないままモヤモヤを抱えて仕事に就きました。

特にその職種に興味があったとか、やりたいと思ったわけではなく、会社訪問して一番印象が良かったところに決めたまでです。先輩に言われるがままに仕事を教えてもらいながら黙々と働きました。その当時、世間でよく言われていた「まったく最近の若いもんは・・・」的なことを言われるのがイヤで、毎日真面目に目の前のことをこなしていました。

そんな毎日が1ヶ月、3ヶ月、半年と過ぎても、ただ目の前のことをこなすだけの毎日が過ぎてゆくだけで心のモヤモヤは晴れません。結局、自分が何をしたいのか、何をやるべきなのかわからないまま時は過ぎ現在に至ります。転職を繰り返す合間に高飛びし、異文化を抜けて生まれ変わったような気持ちで帰国してまた就職することを繰り返しました。

苦しくなったら逃げて、また何となく心が落ち着いてきたら新たな職に就く・・・、そんな生活を繰り返しているうちに、自分は何をしたいのか、どうしたいのか考えることを止めて心に蓋をするようになってしまいましたね。そのほうが楽だったから。

仕方ない、しょうがない、と自分に言い訳をしてまるで自分から逃げるように、あれこれ考え悩むことを封印してしまったのです。

ワークライフバランス

大学を卒業してから数回転職を繰り返して、いまは公務員をしています。

ワークライフバランスって聞き慣れた言葉ですが、いつ頃から言われるようになったのでしょうか。わたしは元々がむしゃらに働くよりもプライベートな時間を大切にしたいと切に願ってきました。

これは若い頃から今に至るまで全く変わりません。

田舎への移住

今から7年ほど前、当時は妻も公務員で仕事の忙しさや職場の人間関係のことでストレスを溜めていました。

妻は人懐っこい性格で、大体においてニコニコとして誰にでも好かれるタイプです。特に子供に。どこに行っても笑顔が素敵だね、と言われます。わたしはどちらかといえば感情が表に出ない仏頂面のため、横いる妻の笑顔が余計に引き立つのかもしれません。

ですが、そんな妻も当時は疲れ切っていて帰宅してもロクに会話がない日がよくありました。

わたしはといえば相変わらず、仕方ない、しょうがない、の世界で生きていました。ずいぶん前に考え悩むことを止めて心に蓋をしたというものの、心の中のモヤモヤはいつまでも燻って大きくなりつつありました。

そんなある日、気晴らしにドライブにでも行こうと思い、行き先を探しながらネットを何気なく眺めていると『田舎暮らしの本』とか『ログハウスの施工ならお任せください!』という文字が目に飛び込んできます。自動配信されるネット広告です。

ドライブの最中ぼんやりと、ただ何となく妻に「田舎暮らししてみよっか?」と言うと、以外にも妻からは「いいねぇ、ちょっと調べてみよっか」との反応が返ってきます。

最初は何気ない思いつきでただ何となくはじめた会話でしたが、それから時間はかかったものの前向きにコトは運び、5年後に現在住んでいる山の中に移住しました。

とある観光地に程近い風光明媚なところです。

生活環境はガラリと変わりました。風が心地よい、さわやかです。鳥のさえずりが聞こえます。

妻にも笑顔が戻ってきました。新しい職場への通勤も満員電車に揺られるのではなく、好きな音楽を楽しみつつ四季折々にダイナミックに移り行く風景を眺めながらの車通勤となりました。

移住したけど、結局何も変わらない・・・

移住して6年が過ぎました。

最初の頃は何もかもが新鮮でしたね。新しい職場、新たに出会う人々、そして自然の中での暮らしはあれこれ考えたり、手を加えることも多く充実していました。でも時が経つにつれて、また胸の中のモヤモヤが膨らんできます。

モヤモヤはどんどんどんどん大きくなって、わたしは相変わらず仕方ない、しょうがないの繰り返しを始めました。

移住したけど、結局何も変わらなかった・・・。これが正直な気持ちでした。最初は新鮮だった職場環境も慣れてしまえば不満がつのり、前職の経験があるからという理由で困難な案件ばかりを任されることにもなりました。楽しかった車通勤も読書ができないとか、運転が疲れるとかとマイナス面ばかりに目が行きます。

ため息の毎日の中で、山暮らしを始めたことさえ間違いだったのではないかと思い悩むほどでした。若い頃に考えることを封印してしまったから、自分自身何がなんだかよくわからなくなってしまった。そんな思いとモヤモヤが頭を支配し身体中を満たしていました。苦しい。

サラリーマンやってれば、住んでいるとこは田舎でも残業多いし、休日出勤もあるし、人手不足で業務量ハンパないし、職場の同僚たちも疲れて無表情だったり、攻撃的だったり、高圧的な上司もいるし、人間関係だけでもヘロヘロ状態。

そういう思い込みに陥ると毎日無感動になって、ただただツライだけ。まるで千と千尋に出てくるカオナシのよう。ンン・・ァア・・・。早く時間が過ぎないかな、早く休みが来ないかな明日は出勤したくないな、いますぐ逃げ出したい。そんなことばかり考える毎日。

無感動な毎日を送るのってホントにしんどい!通勤して、時間が過ぎるのを待ち焦がれて、帰って、寝る。そして、次の朝もイヤイヤながらに出勤。

何をやってるんだ、俺は??

身体中に膨らんでいたモヤモヤが急にワーーーーーーッとさらに大きく膨らんでパチン!とはじけた。すると、声も出なくなって、何もできなくなってしまった。

ある朝、出勤の準備をしていたら、突然立っていられなくなって床にへたり込んでしまった。どうにもこうにも動けなくて、妻に連絡してもらい会社を休んだ。絶対に休んだらいけない時期だったのに。とってもとっても仕事が立て込んでわたしだけではない、課のみんなが、係のみんなが大変なときだった。

ただただつらかった。ただそれだけ。ただひたすらにつらかった・・・。

病院でうつ状態と診断され、休職することになった。

休職して、しばらくの間は何もしない日が続いた。

何をする気にもならなかったし、ホントに何もできなかった。そこにいるだけ。自分ってなんの価値もないんだな・・・。

ただ何となくボンヤリと思っていた。このまま消えてしまいたい・・・。

芸能人が亡くなったニュースを見てなんで死んじゃうのかな?なんて思ってたのに、みんな理由はそれぞれ違うのだろうけど、最期の瞬間って、意外に静かに訪れるのかもなって思ったりした。

これからの人生を考えるきっかけ

3ヶ月ほど経ち、何もしないで横になってばかりの毎日を過ごしていたらだんだん頭がスッキリしてきて、何となくこれからのこと、人生をどうしようか考えるようになった。自分の人生なんて考えるの久しぶりだったから最初は考えるというよりはぼんやりと思うだけ。

でもね、ぼんやり頭で思った。若い頃にあれこれ考えることをやめてしまってから随分と時間が経ってしまったけど、あらためて自分自身と向き合うチャンスが巡ってきたのかな、と。

自分の人生について考えるのはどれくらいぶりだっただろうか。ずっと逃げていたからね。

そうはいっても思いつくことなんてたかが知れてる。「やっぱりこのままじゃダメだ」、「今までと同じことの繰り返しだ」、「自分がホントにやりたいと思えることをやろう」、「この先ずっとムダに過ごすのはイヤだ」、「どうせなら楽しく生きたい、しあわせになりたい」

その程度のことしか浮かばないから、仕方なくあれこれググってみた。ものは試しで転職サイトにも登録したけど、いまいちピンとくる職がない。そりゃそうなのよ、何やりたいのかわからないんだからピンとくる職なんてあるわけない。

しかも、会社員辞めて、また会社員って同じことの繰り返しじゃん!!頭おかしくなっちゃったのかな?って本気で思ったりしてゲンナリした。

「どうせやるなら、人を喜ばせられる仕事がいいな・・・」、「人を幸せな気持ちにできるコトがいいな・・・」、「それって何だろ?自分が興味あることって何だろ?やってみたいことって何だろ?」と愚問を反芻していたら、フッと昔のことが蘇ってきた。

若かりしころ販売の仕事をしていたときのこと。

お客さんが自分の説明を聞いて、頷きながら納得して商品を買ってくれて、また後日来店したときに「よかった」と笑顔で感想を言ってくれる。そんな時はとってもとってもうれしかったし、自分自身とっても幸せな気持ちになった。お客さんの幸せな時間のお手伝いができたような気がして。何だか誇らしい気持ちになった。

時にはクレーム対応もあったけど、怒ってるお客さんにも一生懸命対応していた。商品に欠陥がなくてもクレームを言ってくるお客さんもいた。

怒った人を相手にするのは好きではないけれど、自分が一生懸命に説明、丁寧に対応することで、少しでも相手の反応が軟化してくれたときは胸が熱くなるほどうれしかったのを覚えている。納得まではいかなくても怒りのホコを収めてくれたときは感謝の気持ちすら覚えた気がする。

そんなことをボンヤリと思い出しながらスマホを見ていたら「コピーライター」という文字が目に止まった。

もともと大学は文学部出身ということもあり、物書きという仕事には興味があった。でも、才能が必要だからという自分なりの理屈で職業の選択肢に入れなかった。これも逃げていたということか。

物書きを選択肢に入れなかったことは、ずっと心のどこかで後悔して引きずっていたけど、この気持ちもいつか封印してしまった。

ネットで「コピーライター」という文字を見かけてから何だか気になって、コピーライターという職業についてあれこれ調べてみた。いろんな情報があったけど要約するとこんな感じかな。

「言葉で人の心を動かし、時には誰かを助け、時には誰かを幸せにする」

「読む人を意識する、人の悩みは何かを考える、大切な人に親身になって話すように文章を書く」

これがわたしの仕事になるのなら、どんなに幸せなことだろうと思った。でもコピーライターというよりは、自分が書いた文章で読んでくれた人が幸せを感じてくれたり、共感してくれたり、その人の助けになったりしたら、そんな素晴らしいことはないよねって。

もう惰性で何となく生きるのはやめよう。これからは自分の心と向き合って、自分の思うままに生きよう。

そして間もなくライティングの勉強を始めた。

これからのこと

わたしは自分の心に蓋をして、場当たり的で、自分自身に真っ直ぐ向き合わずここまで歩いてきた。

つらくても苦しくても、イヤでも無感動でも、これが世の中だから仕方ない、しょうがない、こんなふうに自分に言い聞かせて、自分自身を欺いてしまった。

でも、もう自分を欺かず、真っ直ぐに向き合って歩いていこう!!!

これからは自分軸で幸せな生き方を追求していきたい。自分が幸せでいると共に他の誰かも幸せにできる、そんな力を身につけられるよう生きていきたい。

そう強く願っています。

現在は復職して元の所属に戻り仕事を続けています。自分自身にしっかりと向き合って日々、五感をフルに活用して何かしら感じたり、感動できる毎日を送ろうと心がけています。

これを読んでくださった皆さんにも、幸せを感じていただけるような発信をしていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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