自分の幸せとは何か?

いらっしゃいませ!胡桃丸のお部屋へようこそ!

働いているといろんな悩みがありますよね。

わたしもずーっと悩みだらけでしたし、今でも日々悩んでいます。

仕事だけではなく人間関係とか。

ちょっとしたミスで叱られたり、頑張っても給料は下がる一方なのに年を追うごとに責任だけは重くなってくる。

上司の機嫌を取らなきゃいけない日もあれば、後輩や部下の扱いで気疲れしたり。

経験のない部署への異動でひたすら困惑するなど。

やりがい搾取にも直面しました。やりがい搾取って給料などの金銭的な面だけではありません。

休めない、定時で帰りずらい、休日も出勤しないと仕事が回らないなど、奉仕や自己犠牲を強いる雰囲気もやりがい搾取の1つだと感じています。

日々たくさんのストレスを溜め込むだけで発散できずにいました。

正直、仕事を辞めたいなぁと思ったことは何度もあります。数え切れません。

でもその度に、生活を理由に自分自身から逃げてきました。

まさに、ライスワークですつらいです。

たまに飲み会に行っても職場の集まりだとなんだか気をつかうばかりで心底楽しめません。

若い頃はみんなでワイワイやるのが好きだったのに、全然楽しめなくなりました。

職場で飲み会の話が出ると、むしろ憂鬱です。適当な理由さえあれば欠席できるのに、と思います。

残業してクタクタになってやっとの思いで家に帰りつき、風呂で一人きりになって目を閉じてフーッとため息をついた時、ようやく少しだけ身体の力が抜けたような気がします。

いつもどこか緊張している、身体のどこかに力が入っている、ずっとそんな状態でした。

こんなはずじゃなかったんだけどなぁ、よく心の中で呟いています。

このままストレス溜め込んで早死にしちゃうかも、なんてよく思います。

若い頃は、もっとかっこいい大人になれると信じていましたが、現実はそうではありませんでした。

こんなはずじゃあなかったんだけどなーーーーーー!!!そんな毎日が続いていました。

目次

しあわせって何だろう?

わたしの母は59歳でこの世を去りました。

癌で亡くなったため、最期の頃はそばにいるのがつらくなるほど痛がっていて、自分の故郷に帰りたい、ともうほとんど見えなくなってしまった目から涙を流していました。

わたしは会社帰りに毎日病室に寄っていたものの、何もできることはなくただ母が痩せ衰えていく姿を見ているだけでした。あれほど無力感を感じたことはありません。目の前で自分の母が苦しんでいるのに自分は何もしてやれない。

その頃は痛み止めを打ってもほとんど効かないようで、ただ苦しんでいるのを見ていることしかできず放心状態だった気がします。わたしが母を見ているのではなくて、他の誰かが上の方から病室にいる私たちを眺めている、そんな茫漠とした不思議な感覚がありました。

母は52歳でそれまでずっと勤めていた会社を突然辞めました。問いただすと喧嘩になるのでちゃんと理由を聞いたことはありませんが、言葉の端々から感じたのは人間関係が理由ではないか、ということです。それはわたしの直感でした。その直感が正しかったことは、葬儀後に母の知り合いからいただいた手紙でわかりました。

ある夜、ほとんど涙を見せたことのない母が独り台所で声も出さず泣いていました。わたしは母の涙に気づかないふりをしました。

母がどんなにつらかったか、どんなに苦しい思いをしていたか、今となっては聞くこともできません。

わたしの母は思いやりのある人だったと思います。

実の子であるわたしだから言うのではなく、人から好かれるタイプだったのだと思います。

葬儀にはわたしの知らない人たちがたくさん訪れてくれました。

その後も知らない人たちから電話があり、わたしも最初は警戒していたのですが、ほとんどの人は電話の向こうで泣いていました。知らない母を垣間見ることができてうれしい反面、その後もしばらく香典やお手紙が届いたりするので、いったいいつまでお相手すればいいのかな、なんて不謹慎に思ったりしました。直感が正しかったことを知ったのはそんな頃です。

真面目に働き人から好かれるタイプであった母でも、人間関係で悩んで会社を辞めなければいけなくなったことは少なからずわたしの考え方に影響を与えています。

49日の法要が終わり、何となくぼーっとお寺の境内を眺めているときに、しあわせって何だろうって思いました。

病気で若くして亡くなってしまったことは不幸な巡り合わせだったと言うしかないけれど

母は生前、幸せだったのだろうか。

真面目に働いて、友人知人に好かれていた母でさえ幸せになれなかったのだとしたら。

自分はどうすればいいんだろう。幸せと言えるのだろうか。

世間の常識って本当か?

わたしは世間の常識というものに懐疑的な少年でした。

それは大人になった今でも変わりません。

社会人として、真面目に働く、大人として、普通は、耳にタコができるくらい聞いた言葉です。

世間の常識が正しいのならば、真面目に働いている人は必ず報われるはず。

だけど真面目に働いているのに、報われないことの方が多いと思うのはわたしだけでしょうか?

あるとき、わたしの後輩(Kさん)が会社を辞めました。

Kさんは仕事の処理が早い方ではありませんでしたが、真面目にコツコツとやるタイプであきらめずに仕事をこなす好感の持てる若者でした。

わたしと違う部署に異動してからは、しばらく連絡を取っていなかったのですが、ある日、Kさんが退職したことを人づてに聞きました。慣れない部署に異動したことで仕事がうまく行かず、上司や同僚からキツイ当たりを受けていたそうです。

その後しばらくKさんと連絡がつかなかったのですが、ある日わたしからの着信に気づいて折り返してくれました。退職して4ヶ月ほど経っていましたが、まだ次の仕事を見つけられないということです。

Kさんは言いました。

「もう怒鳴られることもないし、毎日ビクビクしながら通う必要もないんでいいんです。でも次も同じことになったらと思うと怖くて・・・。いいなと思う求人があっても、ためらっちゃって応募できないんですよ。」

それを聞いてわたしは愕然としました。

「もう怒鳴られることもない」「毎日ビクビクしながら通う必要もない」

ていうか、そんなの当たり前のことじゃないですか。

怒鳴る方がおかしいんだし、恐怖を植え付ける方がどうかしている。

さらに、同じことが起こるかもしれない恐怖に怯えて次の仕事にも就けない。

人事異動も巡り合わせなのかもしれませんが、悲しいですよね。

その時の上司や同僚は暴力こそふるわなかったようですが、人の心をこれだけ傷つけたのだから肉体への暴力以上と言えると思います。これがその職場の常識なのでしょうか?

Kさんだけではなく、もしかしたら母もそんなに傷ついていたのかもしれないと思うと、真面目に働くことが虚しく思えてなりません。

真面目で優しい人ほど周りの人や職場のことを考えて、身体を壊してしまうのではないかと思えてなりません。精神的にも身体的にも。

自己実現をかなえる

真面目に働いても幸せになれないのだとしたら、いったいどうすればいいのでしょう?

真面目に働くことがいけないとは思いませんが、職場のためとか周囲のためにと自己犠牲ばかりでは良いことは何もありませんし、自分が疲れてしまうだけです。

幸せになれない仕組みを持つ社会が常識だといっていることをただやっていても、それが本当に幸せになれる道だとは思えません。

世間の常識から外れていると言われようと、ムリだ、馬鹿げてると言われようと、やはりどこかで自分と向き合い、自分の幸せのためにどう生きたいのか、自分の心に問いかける必要があります。誰かのためではなく自分の幸せのためにどう生きるのか。

いわゆる「自分探し」と言えるのかもしれませんね。

自分探しの結果、会社員として働くことが答えなら、会社員として働けばいいし、たとえば、わたしのように物書きを目指しながらブログの執筆をしたっていい。

幸せを求めて進む道は人それぞれ無限にあります。正しい答えなどありません。

自分探しは自分との対話です。

考えることを止めてしまわず感情に蓋をせず、真っ直ぐに自分と向き合うことです。

ただ忘れてはいけないのは、他人軸ではなく自分軸で生きること。

自分勝手でいいとか、他人とかかわらずひとりぼっちでいいと言っているわけではありません。

人はどんな時に幸せを感じるでしょうか?

今のわたしであれば、自分が書いた文章を読んでもらって、その言葉が誰かの希望になってくれたらいいなと思いますし、文章を書くことをきっかけにいろんな人と繋がって心の底から信頼できる人、思いを共有できる人と同じ方向に進んで行けたら最高だと思います。

自分のやっていることで他の誰かを幸せにできる、これを目指して物書きになりたいと思ったわけです。

また、周りの人や世間の常識を反映した誰かの理想ではなく、自分の思った通りに生きていること、自然体でいられる時も幸せを感じる瞬間だと感じます。

あなたはどんな時に幸せを感じますか?

何のために生まれてきたの?

人はしたことよりもしなかったことに対して、より大きな後悔を感じるといいます。

アメリカ、コーネル大学の心理学者ギル・オービック博士は「自分の理想を生きることができなかったことが私たちを最も苦しめる」とおっしゃっています。

幸せになりたいと願うのは誰でも同じです。

後悔しないためにも、今やりたいと思うことを今やることが自分らしい生き方につながるはずです。

何のために生まれてきたのか、自分にとっての幸せとは何か。

誰かのためではなく、自分のために生きる。

自分が幸せになり、そして他の誰かのことも幸せにする。

全てはつながっていて、循環しているのだと思います。

心のつながりも幸せも独りよがりではないはずです。

自分の幸せを追求して今を生きる。

わたしも早く他の誰かを幸せにできる力を身につけたいと日々勉強中です。

青臭いことを言っているように聞こえるかもしれませんが、みなさんもあらためて考えてみませんか?

何のために生まれてきたのか、自分にとっての幸せとは何か。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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