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みなさんは新潟県上越市にある高田城址公園(旧高田公園)をご存知ですか?
高田城址公園は約50ヘクタール(東京ドーム10個分、東京ディズニーランドとほぼ同じ)の広さがあり、春は満開の桜の下でお花見、夏は外堀を埋め尽くすように蓮の花が咲き、秋は紅葉、冬は風情ある雪景色を楽しめるなど、四季折々の美しい表情を見せてくれます。
園内には高田城のシンボルである三重櫓(さんじゅうやぐら)や歴史博物館、図書館、市民交流施設、テニスコートなどのスポーツ施設のほか、季節により桜の花や蓮の花を楽しみながら散策できる遊歩道があり、上越市民の憩いの場として親しまれています。
でもみなさん、なぜ三重櫓が高田城のシンボルなの?お城といえば天守じゃないの?どうしてお城の外堀に蓮の花がたくさんあるの?など、不思議に思いませんか?
ここではそんな高田城にまつわる疑問を解決し、なぜ蓮の花が外堀にたくさん植えられているか、について解説します。
この記事を読んでいただけば高田城や外堀の蓮について、ちょっとした雑学を知ることができますので、ぜひ最後までお読みください。
高田城址公園の場所
高田城址公園は新潟県上越市にあります。
近くには日本一の長さを誇る雁木通りがあり、城下町の面影を残す風情ある街並みを散策できます。
三重櫓は高田城のシンボル!
現在、高田城址にある櫓(やぐら)は三重ですが、築城当時は二重でした。
二重櫓は1665年(寛文5年)、第4代城主の松平光長の時代に地震で崩壊してしまい、その後三重櫓として建築されましたが、1870年(明治3年)に三重櫓は本丸御殿と共に火災で消失してしまいます。
現在の三重櫓は1993年(平成5年)に、上越市発足20周年記念事業として建築されたものです。
なぜ三重櫓が高田城のシンボルとして扱われるのか?その理由は高田城の特徴にあります。
高田城の特徴
- 天守が建築されなかったこと。
- 石垣が積まれていないこと。
高田城の築城は1614年(慶長19年)です。
築城計画では、天守を建築し石垣を築くことになっていましたが、結局どちらも築かれることはありませんでした。天守が建築されなかった理由は、大坂冬の陣(1614年11月〜翌年5月)の直前であったため工事を急がせたから、と言われています。
高田城では天守が建築されなかったため、櫓(やぐら)が天守の役割を果たしていました。これが三重櫓が高田城のシンボルとして扱われる理由です。
補足として、石垣が築かれなかった理由は諸説あるようですが、大坂冬の陣の直前という理由以外には、石材が付近になく集める余裕がなかったことや場所が低湿地の軟弱地盤であるため石垣の重みに耐えられないこと、大砲などの普及により攻城法が変わり土塁が有利と考えられたこと、などが挙げられています。
高田城築城にまつわるお話
徳川家康の命により、仙台城主 伊達政宗、米沢城主 上杉景勝、松本城主 小笠原秀正らを始めとする13大名が築城に参加しています。高田城初代城主の松平忠輝(家康の六男)の舅である伊達政宗が工事の陣頭指揮をとりました。
本格的な築城は1614年(慶長19年)3月に始まり、わずか4ヶ月で工事を終えたと言われています。陣頭指揮をとった伊達政宗は同年7月に、その他各藩の役人や人夫も8月には引き上げたとのこと。
織田信長の安土城やその40年後に建築された名古屋城の築城期間が約3年ということから考えても、4ヶ月という築城期間がいかに短いものか、おわかりいただけると思います。
極楽橋
城址公園には築城当時、二の丸から本丸に渡っていた極楽橋が再建されています。
2002年(平成14年)に発掘調査の資料を基に再建され、再建工事中には土中から旧極楽橋の木杭などの遺構が出土しています。
7月から8月にかけては極楽橋のたもとに置かれた大鉢に蓮が生けてあり、涼しげな情景を目にすることができます。
東洋一の蓮の花
高田城址公園の蓮は外堀のおよそ19ヘクタール(東京ドーム4個分)を広く覆っています。
なぜ、お城の外堀に蓮の花?
1868年(明治元年)の戊辰戦争や凶作で悪化した高田藩の財政再建のため、地元の大地主であった保坂貞吉という人物が1871年(明治4年)に私財を投じてお城の外堀に蓮を植えて、蓮根を売ることで藩の窮状を救おうとしたことが高田城址公園の蓮の花の始まりです。
しかし植えられたのは在来種の和蓮であり、穴が大きく味も好みに合わないという理由で、1962年(昭和37年)で収穫は終わりました。
東洋一の蓮花群
1953年(昭和28年)蓮研究の世界的権威として知られる故・大賀一郎博士が現地を訪れ、高田図書館で講演を行ったときに「蓮池としては日本で一番大きなもの。」と述べられました。また「蓮池でこのような規模のものは世界でも稀で、特に紅白が入り混じっているのは珍しい」と激賞されたとのこと。
この博士の言葉が、後に「東洋一」と語り継がれるゆえんになっているようです。
蓮の開花面積は日本一なのか?
蓮の花が咲く場所として日本で一番面積が大きいのは、宮城県登米市と栗原市にまたがる伊豆沼と内沼です。
全体の広さは491ヘクタール(東京ドーム83個分)あり、ほぼ全域に蓮の花が咲きます。
湿地帯の環境を守り水鳥の生息域を保護するために、伊豆沼と内沼は1985年(昭和60年)ラムサール条約湿地に登録されました。国内では釧路湿原に次ぎ2番目の登録となります。
上越の地元紙である上越タウンジャーナルに以下の記事が掲載されています。
宮城県伊豆沼・内沼環境保全財団によると、1960年代まではジュンサイやヒツジグサが沼を広く覆っていた。「ハスは沼の一部で生育していた程度」だという。それが沼の干拓や富栄養化で1970年前後からハスが急激に増加し、水面を覆い尽くすようになった。しかし、度々洪水が起き、その都度全滅を繰り返してきた。近年はダムができるなど、沼の洪水調整能力が高まり、ハスは安定して咲くようになってきたという。
上越タウンジャーナル(2018年8月12日)
高田城址公園の蓮は現在では開花面積が日本一とはいえませんが、故・大賀一郎博士が高田城の外堀に咲く蓮の花を見た当時は、日本一の規模であったと言えるのではないでしょうか。
(参考)春の桜
高田城址公園といえば、夏の蓮と並んで春の桜が有名です。
現在では約4,000本の桜があり、満開の時期には多くの人がお花見に訪れます。
高田城址公園の桜は、1909年(明治42年)の陸軍第13師団の入城時(駐屯地設置)に在郷軍人会が2,200本の桜を植えたことが始まりです。
1926年(大正15年)に現在まで続く観桜会(かんおうかい)が始まりました。主催団体は高田商工会、高田実業連合会、高田各宗教連合会でした。
以来現在に至るまで観桜会は続いています。2022年で第97回目となっています。
まとめ
いかがでしたか。この記事ではなぜ三重櫓が高田城のシンボルなの?お城といえば天守じゃないの?どうしてお城の外堀に蓮の花がたくさんあるの?などの疑問について解説しました。
記事を読んでいただき、天守が建築されなかった高田城の特殊性や藩の窮状を救うために蓮根が植えられたことなどが、おわかりいただけたことと思います。いずれも歴史と風土に育まれた地域の宝と誇れるものです。
みなさんも歴史情緒あふれる高田城址公園を訪れて、お堀の水面を渡る心地よい風に吹かれながら往時を偲んでみてはいかがでしょうか。
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