どこまでも優しすぎてやるせない記憶

鈴木さんが亡くなった。

鈴木さんとは20数年の付き合いになる。

わたしとは親子くらい歳が離れていたと思うから、80過ぎだろうか。正確な年齢は知らない。というより、いつの間にか忘れてしまった。

わたしは鈴木さんのことを内心ではスーさんと呼んでいた。

スーさんが亡くなってしまった。

スーさんに出会ったのは、わたしがまだ20代。総務課で役員担当をしていた頃だ。

スーさんは最後の運転手さんだった。

役員専用車の運転手さんだ。黒塗りのクラウンの運転手さん。

スーさんの席は総務課の末席にあった。

役員が車で出かけるとき以外はその席にいて、車の運行表を眺めたりしていた。席にいないときは地下駐車場でクラウンを磨いていたか、喫茶店でコーヒーを楽しんでいた。

わたしは仕事中に来客があると、客を伴って隣のビルにある喫茶店に行くのが常だった。

その喫茶店はスーさんも常連だった。長ソファにゆったりと体を預けて、タバコと共にコーヒーを楽しんでいた。

わたしが入店するのに気づくと、ソファ越しにタバコを挟んだ手をクイっと挙げて合図するのだった。

喫茶店を出ようとしてマスターにチケットを渡そうとすると、すでにスーさんがわたしの客の分まで払ってくれていることがよくあった。

あとでわたしがお礼を言ってチケットか代金を渡そうとしても、スーさんは絶対に受け取らなかった。

初めのうちは奢ってもらったものの、そう何度も回数を重ねては申し訳ないと思っていた。なんとかスーさんにチケットを受け取ってもらおうとしたのだが、スーさんは押し問答にならないうちにスッと部屋を出ていってしまう。

わたしはいつの間にかスーさんに甘えるようになっていた。

総務課の席にいるときは寡黙だった。余計なお喋りは一切しない人だった。

わたしはまだ、役員対応に不慣れでうまく対応しかねることがあった。どうしていいのかわからず困惑するとハタと動きが止まる。

当時の役員からは、仕事の範疇なのかプライベートなのか判断つきかねる頼まれごとをされることがあった。

何の目的で、誰に宛てたものなのか、などを事前に指示いただけると助かるのだが、そうでない場合が多かったし、聞ける雰囲気ではないことも普通。

たとえば手土産の用意は、経験の浅いわたしには難しいときがあった。

朝9時すぎに役員室に呼ばれて、「旬のイチゴを1ケース買ってきて欲しい。11時半に先方に届けるから11時には出発する。鈴木さんにもその旨伝えておいてくれ。」と言われる。

1ケース??となったわたしは「箱買いということでしょうか?」と伺うと「そうだ。」と答える。「わかりました。」と言って役員室を出たはいいが、イチゴの箱買いって、どんな感じだ?スーパーに並んでる感じ?わからない。

上司に相談してみるが、上司も見当がつかない様子。

困った上司は勢いで「デパート行って、イチゴを1ケース欲しいって言えば出てくるんじゃないのか。アハハ。」

まぁそうかもしれないが・・・。時間がないのだよ。

電話で確認しようにもデパートの代表電話はまだ繋がらない。デパートの外商部にもいくつか電話してみたが、生鮮品の件は外商部では承れないという。

まさか役員に持たせるイチゴをその辺のスーパーで買うわけにもいかないし、というかこの辺にスーパーはないのだった。あるのはデパートがいくつか。あとは飲食店への卸をやっているようなところ。

そんなわたしの表情をスーさんは見逃さない。

何があった?と問われるままに役員からのオーダーをスーさんに伝える。

すると、スーさんは上を見るようにして「ふ〜ん」と言い、思いついたように「錦三のいつもみんなが昼に行ってるカレーうどん屋わかる?そこの角を右に曲がって二つ目の交差点を右に曲がると卸やってるところがあるからそこに行ってきな。」という。

言われていることはわかるのだが、そんなところに卸やっている店あったかな?とわたしは半信半疑である。だいたいそんなところでまともなイチゴが買えるのか?

スーさんはそんなわたしの様子はお構いなしに「電話しといてやるから、いちばんいいイチゴ1ケースください、って買っておいで。それで大丈夫だから。」とのたまう。

そうこうしているうちに時計はすでに10時を指そうとしている。時間がない!

上着を引っ掴んで走った。そしてスーさんに言われた通りいちばんいいイチゴを買った。すでに店主がスーさんからの電話を受けて準備してくれていたのである。風呂敷にまで包んでくれて。

結果、役員はそのイチゴに満足したようであった。短時間のうちによく用意してくれた、と褒められた。

でもわたしは大したことをしていない。全てはスーさんの采配だ。

そのイチゴの名前は忘れてしまったが、パッケージに特徴があった。

全体的な見た目はよくあるパッケージだが、上に被せてあるクリアシートにファラオ紋様がプリントされていたことを鮮明に覚えている。

スーさんが退職したのは、その何年後だったのか。よく覚えていない。でも、最後にスーさんと挨拶したときのことは覚えている。

本当は、わたしがたくさんお礼を言わないといけないのに、あまり喋ると涙が流れてしまいそうで、スーさんに伝えたかったことの100分の1も伝えられなかった。

わたしがモゴモゴやってる間に、スーさんにお礼を言われて、頭まで下げられて、わたしの二の腕をさすりながら「がんばってね。」と言われて。

モタモタしている間にスーさんは行ってしまった。喫茶店で目があった時のように片手をクイっと挙げて。

その後ろ姿が今でも目の前に思い出される。

それきりスーさんとは一度も会っていない。

今では年賀状のやり取りだけだ。

だが、それももう終わってしまう。2023年の年賀状が最後だ。

スーさんがいつ永眠されたのかはわからない。ご家族から届いたハガキによると1月5日にご葬儀を終えられたそうだ。

こんなことなら、何でもいいから理由をつけて会っておけばよかった。

会って、今度はちゃんとお礼を言いたかった。

スーさん。本当にありがとうございました。いくら言っても足りないよ。ぜんぜん足りないんだよ。

スーさん、うまく言えなくてごめんなさい。

ありがとう。スーさん。

最後までお読みいただきありがとうございました。

本日、ご親族からお知らせのハガキをいただき、驚きと共に懐かしさに駆られて泣きながらキーボードを叩きました。

本当にこころ優しい、わたしにとっては上司でもあり、人生の先輩であったスーさん。

心からご冥福をお祈りいたします。

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