ようこそ、胡桃丸のお部屋へいらっしゃいました!
10代、20代と言っても小学生から社会人まで幅広いですが、中学生ぐらいになると「この先自分はどうなるんだろう」とか「将来何をしたいのかわからない」と悩まれる方も多いのではないでしょうか。
また20代前半の大学生もご自身の進路にお悩みの方が多いのではないでしょうか。
わたしがみなさんと同じでした。「将来どうしたいのか、何をしたいのか」よく考えましたし、親からもよく「将来どうなりたいのか」と聞かれました。
わたしはすでに人生の折り返し地点を過ぎましたが、自分の10代から20代のはじめ頃を振り返ると大きな後悔が残っています。
わたしの大きな後悔は大学時代にあるのですが、中学の時から将来のことが漠然と不安でした。将来自分がどうしたいのか全く想像できませんでしたし、いくら考えても分かりませんでした。
もし将来のことで悩んでいる若い方がいれば少しでも参考にしていただけるかと思い、わたしの経験をお話しします。
わたしの経験を反面教師としてお読みいただければ幸いです。
やりたいことがわからない
中学生の頃
当時わたしが住んでいた町は、身近なところに娯楽施設はなくデパートに行くにも車で1時間ほどかかる田舎町です。
近くには山や川があり人通りもまばらです。夏になると入道雲が青空にせり上がり、セミの鳴き声をバックにそんな空を見上げていると一人ぼっちで誰もいない町に取り残されたような感覚があり、めまいがするような気が遠くなるような思いでした。
当時はスマホはおろかガラケーもない時代です。
友達と連絡を取る手段は家の固定電話だけで、友達の家に電話をすると友達の親が電話に出そうな気がして、なんとなくめんどくさくなって友達と電話で話すこともほとんどありませんでした。
親にせがんでパソコンを買ってもらい、本を頼りにプログラミング言語のBASICやC言語に挑戦してみましたが長続きせず、1年も経たないうちにせっかく買ってもらったパソコンもただのゲーム機となりました。
よく親に将来どうするのかと聞かれましたが、そのときのわたしには将来の自分を全く想像できなかったのです。
そしてそのまま高校に進学しました。
高校時代
地域の進学校に進んだわたしは、数学や物理、化学が大の苦手だったので消去法で国立文系コースを選択しました。
進路指導が1年生の秋から始まり先生と面談を重ねましたが、一向に自分の将来像がつかめません。
2年生になる頃には、自分の先のことがわからなさすぎて気分が落ち込んでしまい、今あらためて思い出しても、あまりいい思い出がありません。
大学に進学することは決めていましたが、その先の将来につながる学部選びなどできるわけもなく、結局消去法で自分の偏差値で入れそうな大学を受験しました。
大学生活
高校までとは違い、全国のいろんな地域から学生が集まるので友人と話していても刺激があって楽しかったですし、仲間にも恵まれていい大学生活だったと思います。
学内だけでなく、バイト先や夜の街などで出会った人々の話も面白く、いろんな考えの人がいることを初めて実感した時代でした。
自分が経験したことのない人間関係や仕事の話を聞かせてもらったり、恋愛や身の上話、世界を旅した話、料理のことやおすすめ本のことなど、街で出会う人から得られる情報はバラエティに富んでいて飽きることがなく、好奇心を刺激されて話を聞いているだけで幸せな気持ちになれました。
でも、どんなに面白い話を聞くことができても、自分自身が何をやりたいのか、将来どうなりたいのか答えは出ずにモヤモヤとした思いで頭がいっぱいでした。
人生の大きなターニングポイント
その後就職し、転職を3回繰り返して現在に至ります。
40代となった今、わたしが後悔しているのはもっと自分自身と真剣に向き合って、勇気を出して行動していればよかった、ということです。
現在に至るまでわたしの人生は言い訳の連続でした。
数多くの選択肢が積み重なって今があるわけですが、大きな後悔が2つあります。
人生の大きなターニングポイントで勇気を出して行動できなかった後悔が残っています。
たとえうまくいかなくてもいいから、やっておけばよかった。
物書きになりたい
将来どうしていいのわからず、ずっと悶々としていましたが一つだけやってみたいな、と思うことがありました。それは物書きです。今風にいえばライターですね。
しかし残念ながら、せっかく自分のアンテナが物書きをキャッチしたのに「才能がないからムリ」と最初に職業の選択肢から外してしまったのです。
就職活動の時にライター志望で出版社を受けてみる選択もできたのですが、受けることすらしませんでした。今になって思えば、どうして受けなかったんだろうと後悔するばかり。
失敗したくない、自分に自信がない、才能もないのにできるわけがない、というネガティブ思考や固定観念に負けてしまったんですね。自分の心の声はおそろしいものです。
「受けてみても受からなかったかもしれない。就職できたとしても、ものにならなかったかもしれない。」
「失敗したっていいじゃないか、頑張ってみてダメだったら他の道を考えればいい。」
当時のわたしにはこう考えることはできませんでした。
いくら後悔しても時間を取り戻すことはできません。
自分の心の声に負けて行動できなかった自分の責任です。
カナダで暮らしたい
わたしは大学を1年間休学してワーキングホリデーでカナダに滞在しました。
自分が将来どうしたらいいのかわからなかったため、自分探しの旅を理由に現実逃避したのです。
仕事や旅行で離れることはありましたが、主にバンクーバーで暮らしていました。
バンクーバーは都会ですがゴミゴミした雰囲気はなく身近に雄大な自然を感じられる街で、わたしは大好きでした。
ワーキングホリデーの大きな特徴は、労働ビザがなくても働けることです。
わたしが現地で知り合ったワーホリの日本人は、将来は英語を使う仕事に就きたいという人が多く、皆仕事よりも学校の授業に熱心です。
わたしも英語の習得は望んでいますが、学校に行くよりも働きながら現地の人と関わりたいという思いが強く、ダウンタウンにある店先に掲示されていた求人情報を頼りにギフトショップで雇ってもらい、レジ打ちや品出しをして働きました。
そのうち生活に慣れてくると、スキー場のパトロールや寿司屋さんでの仕事、木工作業所での仕事などを紹介してもらえるようになり、未経験のことばかりで日々とても新鮮な気持ちで毎日が充実していました。
この頃の自分が、人生の中で一番イキイキとしていたのではないかと思っています。
カナダでの生活を続ける中で、このままカナダで働きたい、ずっとカナダにいたいと思うようになり、カナダに移住することはできないか真剣に考えるようになりました。
当時の記憶ですが、移住が認められるにはいくつか条件があり、学歴や職歴だったり、身元保証人も必要だったはずです。具体的な手続きについてはわからなかったため、自分が移住することが可能なのか、どうすればいいのかを移住に詳しいコンサルタントに相談しようか迷っていました。
迷い悩みあれこれ考えていましたが、どうしても気にかかるのは日本にいる母のことです。
ある日ウィニペグという街にいたわたしは意を決して、宿泊先の公衆電話から母に電話し自分の考えをおそるおそる伝えてみました。
母から帰ってきた言葉は、とりつく島もないものでした。
「そんな自分のやりたいことばかり考えてどういうつもりなの。こっちに帰ってきて大学をちゃんと卒業して公務員になればいいじゃない。あんたには公務員とか学校の先生が向いてるんだよ。」
だいたいこんなことを言われた気がします。
途中から悲しくなってしまって、受話器を離して遠くから漏れ聞こえてくる母の声をボンヤリと受けていました。
わたしに公務員と学校の先生を勧めるのは母の口癖のようなものです。
「やっぱり話すんじゃなかった・・・・・・。」
母の言葉はわたしの胸を締め付けました。涙が流れるのを必死にこらえながら部屋に戻ったのを覚えています。
結局わたしは1年間カナダで過ごし、日本に帰国しました。
あとは復学、卒業、就職という結果です。
就職後もしばらくの間カナダへの未練がありましたが、それもいつの間にか忙しい日常にかすんでいきました。
後悔先に立たず
過去を振り返ると今までの人生で、選択しなければいけない場面はたくさんありました。
先ほどの2つのターニングポイント以外にも大きなところでは進学、友達、恋愛、結婚、就職、他に小さなものを考え出すとキリがありません。
いちばん悔やまれるのは、自分の心に向き合って、自分で決めて、自分自身のために行動できなかったことです。
行動しておけばよかった、と悔やんでも時間は取り戻せません。
今さら何を考えようと、どれだけ後悔しようと時間は帰ってきません。
どんなにお金持ちでも、有名人でも、わたしのような平凡な人間でも時間は平等です。
誰にも時間を買うことはできないし、取り戻すこともできないのです。
心の鎧を脱ぎ捨てる
紆余曲折はありましたが、わたしは今これを読んでくれているみなさんに向けてメッセージを書いています。
100%自分のためだけに生きるというわけにはいきませんが、自分が幸せになることで他の誰かを幸せにしたい、幸せを感じてもらえたらいいなと思って日々生きています。
わたしは物書きへの道をあきらめて行動にも移すこともできませんでしたが、こうやって自分の経験を誰かに知ってもらうことで、ほんの少しでもこれを読んでくれる人の助けになればいいなというのが、わたしの願いです。
ここまで読んでくれたみなさんの心に留めてほしいことがあります。
それは、心の鎧を脱ぎ捨てるということ。そして楽になるということ。
何か決断しようとするときに自分の心の声を聞くと迷いが出ることがあります。
それは固定観念とか思い込みという重たい鎧が邪魔をして、本当の心が見えなくなってしまっているからです。
「失敗するかもしれないから今のままでいいんじゃないか。」
「親は何て言うだろうか。」
「恋人に嫌われるんじゃないか。」
「周りから笑われるんじゃないか。」
「猛反対に合うんじゃないか。」
こういう自分の心の声を聞いて「やっぱり止めておこう」となってしまうのはもったいないことですし、その後の人生で本当の自分の心と折り合いをつけて生きていくのがむずかしくなってしまいます。
失敗を重ねてきたわたしだから言えるのかもしれませんが「親が心配するから」、「恋人に嫌われるんじゃないか」、「周りがどうか」、ということは一旦置いておいて、自分ファーストに生きるのが最良の方法です。
自分が本当はどうしたいのか、何をやりたいのかを第一に考えて行動していいと思いますし、行動するべきです。
親や恋人、周囲の反応を気にしているのが当たり前になっていると、その鎧がどんどん重たくなって脱げなくなり、そのようにしか生きることができなくなってしまいます。
いつも一歩が踏み出せない。
そうではなくて自分を第一に、自分がどうしたいのかを追求して生きるようにすると、とても楽になりますし、きっと周囲にもいい影響を与えることができるようになると思います。
あなたがイキイキと生活していれば親もよろこぶでしょうし、恋人や周囲の人との関係ももっと良くなるはずです。
あなたが幸せに生きていくために、人生のターニングポイントを見逃さずに、そこに立ちはだかる障壁を乗り越えてその先の輝かしい未来に向けて一歩一歩進んでいってほしいと思います。
たとえ失敗したとしても、みなさんにはまだ時間があります。大丈夫です。
あなたが幸せになって、他の誰かも幸せにできるように。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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