自己肯定感の低さ

ようこそ胡桃丸のお部屋へ!

本日はわたしを悩ませる自己肯定感の低さについてお話しします。2分ほどでお読みいただけますのでどうぞ最後までご覧ください。

目次

プロローグ

わたしは以前、うつ状態と診断され仕事を休んだ。

その医者はわたしが上司と折り合いが悪かったため心を病んだと解釈していたようだが、わたしはそうではないと思った。

わたしは、自分の自己肯定感の低さが一番の原因だと感じている。

医者であっても、他人にはわからないのだ。

自分のことは自分が一番よく知っている。

上司のこと

頭の中が整理できるようになってからあれこれ思い出したり、考えたりしてみたが、わたしにキツくあたった上司には特に何も感じていないし、何も思わない。

ただ、あの人とは合わなかったな、と思うだけ。

その上司はいつも偉い人オーラを放っていて、課室内の絶対的な権力者という雰囲気を醸していた。

いつも忙しそうで、部下からの報告は後回しにして自分のための勉強を必死にしている人だ。

役職者なのに毎日夜の9時過ぎまで在席し、さらにカバンに書類を詰め込んで仕事を持ち帰っていた。

それほど大きくない子供がいる家庭を持ちながら、週末もパソコンや書類を持ち帰って仕事をしていたようだ。

わたしは、家族もかわいそうに、と思った。

毎日、夜9時過ぎまで仕事して家に仕事を持ち帰り、さらに週末も持ち帰るなんていったいどんなプライベートを過ごしているのか?なんでそんなに仕事があるのか?と不思議に思っていた。

わたしはその人を好きになれず敬遠していた。

それを感じてのことか、その人はわたしにキツくあたり、仕事も教えてくれない。呼びかけてもほとんど返事は返ってこない。

わたしとその人はあまりにも価値観が違いすぎて、同じ部屋にいるのにまるで別世界の人を見ているようだ。

生きている年数の割には人生経験が浅かったのか、わたしはこれほど人間味の無い人と同じ部屋で仕事をするのは初めてだった。

その人はわたしのことをどう思っていただろうか?

昔の記憶

自己肯定感の低さに気づいたのはいつの頃だったか。

もう忘れてしまったけれど、子供の頃から人の期待に応えなきゃいけない、と意識していた気がする。

小学生のとき両親が離婚して母親と一緒に暮らすことになった。

わたしが母と暮らすことを選んだ。母を1人にするのはかわいそうだと思ったから。

離れて暮らすことになる父に心残りはあったが、母への気持ちがそれを上回った。

母はよく働いた。

朝早くに家を出て、途中一旦帰宅してわたしの夕飯を用意し、また仕事に出かけて行った。

帰りは日によってまちまちだったが、遅くなる日は夜の10時や11時を過ぎることもあった。

母の帰りがあまりに遅いともう帰って来ないんじゃないかと思えて、小さかったわたしの涙が止まらない時もあった。

母は厳しかったが、よくわたしを褒めてくれた。

褒めてくれた後に「ちゃんとした人になるように」、「きちんとした人になるように」と事あるごとに言われた。

「コツコツやっていれば大丈夫」、「まじめにやりなさい」も母の口癖だった。

わたしは褒められるのがうれしかったし、母の言う通りにしなきゃいけない、と素直に思っていた。

母は度々、「公務員か学校の先生になりなさい」と言っていたが、母の生前にわたしがそういった職に就くことはなかった。

思えば、就職だけが母の言うことを聞かなかった唯一のことだった気がしている。

自己肯定感の低さ

子供の頃に芽生えた「人の期待に応えなきゃいけない」という意識はその後もずっと染み付いている。

その意識は長い間にさらに濃くなったと思う。

学生の時は一人暮らしで、かなり解放感を感じた。時間を自由に使えて、何をやっても母の目を気にする必要がないから。

その後、就職し、紆余曲折はあったものの現在に至り、うつ状態と診断された。

今までの人生を振り返ると、自分は何をやっても中途半端で、無駄に過ごした時間が多かったと思ってしまう。

自己肯定感が低い典型のような感じ。

全てが無意味だったとは思わないけど、振り返るといつもそこにはイマイチな自分がいる。

何をやってもうまくいかない、何をやっても冴えない、才能もないし、どうしようもない、そして、仕方がない、しょうがない、と自分を欺いてここまで来てしまった。

就職の面接の時に「あなたの強みは何か教えてください。」と尋ねられて、

「何か問題があれば、その解決のためにただ考えるだけではなく、行動できることです。行動しないことには何も始まりません。」と答えた気がする。

今思い出してもため息が出る。

本当に考え行動できるのなら、もっとより良い人生を送っていたはずだ。

自分の強みなんて、ホントはなんにもわかっちゃいない。

大多数の世の人たちは、自らの強みを知っているのだろうか?

だとしたら、みんなが羨ましい。

自己肯定感の低さをなんとかしたい

そんなわたしでも、もっと自由な時間が欲しい、自由に生きたいと強く思っている。

思っているだけではダメなことは承知していて、なんとかしようと思っている。

もうこの時点で、すでに矛盾。

SNSなどで、いろんな人の前向きなコメントを読むと背中を押される気がする。

みんな、すごいなぁって、心の底から本当に思う。

でもいくら前に進もうとしても、長い間かけてわたしに染みついたものは、なかなか消えない。

いくら自分に優しい言葉をかけても、不安がのしかかってくる。

はっきり言って、今どうしたらいいのかわからないが、前向きに、前向きに。

前向きに、前向きに、一歩一歩、コツコツと、コツコツと何事も続けていくしかないのかな。

結局、母の言う通りだったのかな。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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